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ミスチルはダウンタウンのチンカスみたいなもん

「HERO」以降、桜井さんが抱えている葛藤の一つに、「みんなのため」と「自分のため」の板挟みがあると思います。公と私ですね。って社会学者の宮台センセが言ってました。

 ミスチルの『ヒーロー』という曲は、「もしも誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとしたら、僕は誰かが名乗りを上げるのを待っているだけの男だ」という歌い出しです。そのうえで、自分は反戦ヒーローになるよりも、妻と子どもを守る小さなヒーローでありたいと歌い上げます。これはさらに高度なアイロニーです。よほど読解力が高くないと私生活主義ソングだと受け取ってしまいます。ポイントは「だけの男だ」にある。ここに暗号を解くためのパスワードがあります。
 社会背景を知らないと暗号は解けません。少し前までミスチルの桜井和寿は、小林よしのりのファンでした。小林の「私生活に閉じこもってエゴを満たす堕落した生活を脱して、公に貢献せよ」というメッセージに共感していました。そういうメッセージに近接する歌詞を書いたりもしています。確かにそれを否定する歌なのです。「私生活はエゴでくだらなく、公への貢献が崇高だ」はありえないと歌っている。
 しかし「だけの男だ」に込められているのはアイロニーです。桜井は戦争で苦しむ人たちを助けるNPOを立ち上げました。解読するとこうなります。「公への貢献は大切に決まっている。でもそれに比べて私生活の価値が劣るなどということは絶対ありえない。私生活の価値こそが至上であることを知ったうえで、公に貢献するしかありえない。それ以外の公は全部嘘だ。」ここまで解読しなければ、この歌を理解したことにはなりません。
(宮台真司『教育「真」論』)


 このあとちょっと挑発的な文章があるんですが、それは最後に紹介します。宮台先生の意見は、歩留まりこみこみのあえてするパターナリズムだったりで、同意しかねちゃうことも当然あるんですが、私の大事な道しるべになってます。
 そんな宮台先生の批評を借りて、ミスチル桜井さんの歌詞について考えます。公私のバランスについて、桜井さんはどう悩んでどうやって当座の答えを出してきたのか。
 『I LOVE U』は、タイトルからもわかるように、私生活に大きく振れたアルバムで、はっきりと公への言及はなされていません。
 『HOME』では「彩り」や「あんまり覚えてないや」が公私の狭間にいる自分を歌った曲でした。『IT'S A WONDERFUL WORLD』の時すでに完成していた「もっと」は911を歌った歌なんですが、作られた時期が時期なので、葛藤を歌ったものではなく、素直なメッセージとなっています。「かぞえうた」もそうですが、あまりに大きな悲劇が起こった時、これまでの歌詞にあったような葛藤は飛ばされるのです。「私を滅し、公に貢献せよ」が一時的にスローガンとなるわけですから。「もっと」が『HOME』まで収録を待たなければいけなかったことが、桜井さんのアルバムに込めた意図を感じさせます。
 わかりやすいところだけ引用します。

今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を
取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種になれた気がして
夜が明けて また小さな庶民
(「彩り」)

世知辛い時代だとアナウンスされてるけど
君と過ごした時間があるから 僕は恵まれてるって言える
(「やわらかい風」)

世界中を幸せにするようなメロディー
確かに口ずさんでたはずなのに
あんまり覚えてないや あんまり覚えてないや
あんまり覚えてないや あんまり
(「あんまり覚えてないや」)



 このアルバムに散見されるのは、公への参加・貢献を志しながら個の世界へどうしても帰ってきてしまう自分の姿です。もちろん人間とはみなそうしたものと言ってしまえばそれまでですが、無意識に暮らすか意識して暮らすかで、人の社会での振る舞い方はガラッと変わってしまいます。
 この葛藤にとりあえずの答えを出したのが、『HOME』の次のアルバム『SUPERMARKET FANTASY』の「口がすべって」という曲だったと私は思います。

口がすべって

口がすべって君を怒らせた
でも間違ってないから謝りたくなかった
分かってる それが悪いとこ
それが僕の悪いとこ

「ゆずれぬものが僕にもある」だなんて
だれも奪いに来ないのに鍵かけて守ってる
分かってる 本当は弱いことを
それを認められないことも

思い通りに動かない君という物体を
なだめすかして 甘い言葉かけて 持ち上げていく
もう一人の僕がその姿を見て嘆いてるんだよ
育んできたのは「優しさ」だけじゃないから。。。

争い続ける 血が流れている
民族をめぐる紛争を 新聞は報じてる
分かってる 「難しいですね」で
片付くほど簡単じゃないことも

誰もがみんな大事なものを抱きしめてる
人それぞれの価値観 幸せ 生き方がある
「他人の気持ちになって考えろ」と言われてはきたけど
想像を超えて 心は理解しがたいもの

流れ星が消える 瞬く間に消える
今度同じチャンスがきたら
自分以外の誰かのために
願い事をしよう

口がすべって君を怒らせた
でもいつの間にやら また笑って暮らしてる
分かったろう
僕らは許し合う力も持って産まれてるよ
ひとまず そういうことにしておこう
それが人間の良いとこ


 私生活においてさえ、愛する人に対してさえ全幅の「優しさ」をそそげない「僕」という個人的存在が、世界や社会などの大きな問題に対して貢献するということは、一体どういうことなのかという自問自答です。
 それは同時に「どうあがこうと、『優しさ』というのは、全幅の『優しさ』を注ぐという純粋な形をとらないのではないか」という懐疑でもあります。優しさのイデアは実在しないと言い換えることもできるでしょう。「育んできたのは『優しさ』だけじゃないから」という歌詞が如実に示す通りです。
 公への言及である詞があります。民族紛争が「難しいですね」で片付かないのは、難しいと言うだけでは解決しない、という意味ではありません。「口がすべって」は自己の内面にまつわる歌ですから、「難しいですね」では自分の感情が片付かないということです。
 この恵まれた国にいながら行う公的なことへのコミットは、想像を超えて理解しがたい個人を自他共に消し去る形でしかできません。社会的存在としてしか、社会貢献はできない。でも、私的存在として行わない貢献には、偽善といういわれがつきまといます。なら、やったら偽善者なのでしょうか? 偽善者にならないためには「難しいですね」と言って手をこまねくしかないのでしょうか。いいや、それでは片付かない。だからやっぱりやるしかないのです。葛藤を抱きながら。

 この歌の落としどころを私なりに考えます。
 個人には個人の生活がある限り社会に貢献することは偽善のジレンマがつきまとうけれども、それを理解し、個人であることを優先する自分がいることを自覚しながら、社会貢献の意思を持とうとしたい自分がいる。その意思は、ふいに現れる流れ星を見た瞬間に、他者のために祈れる自分でありたいと心から思うこともある、という歌詞に顕著に表れています。
 でも、その態度は逆に、つまり、社会貢献の意思を持ちながら私的生活を優先しているように映ることがあることもわかっている。それはちょうど、愛する人に接するのと同じように、です。相手のことを思う気持ちがありながら、自分のことを優先する「僕」ですね。
 ただ、愛する人とはそれを許しあうという現実がある。理解できない他者であり、同時に愛する君でありうるならば、いわんや社会をや。社会においても、よりよい関係というのは許しあう形をとるしかなく、私的環境においてそれができる人間は公の場においてもその力を発揮できるはずだ、というのです。
 しかし桜井さんは無邪気ではありません。それは余りに楽観的にすぎることがわかりすぎるぐらいわかっているのです。だから「ひとまずそういうことにしておこう」と歌います。そして、とりあえずの答えを出して前に進むことができる「それが人間のいいところ」だとしてこの歌は終わります。
 ここに見てとれるのはポジティヴなアイロニーです。逆に言うと、個人としての人間は、ここまで考えて自分を説得し、ひとまずそういうことにしておかないと、毀誉褒貶の渦の中、まともな顔で社会貢献などできない時代なのです。

 社会的・時代的閉塞。その折に、ヒーローという社会的存在でありながら個人である伊達直人に身をやつすことで社会貢献が盛り上がったのは非常に象徴的な出来事でした。
 さらに、まさに風穴を開けるような昨年の震災。皮肉なことですが、という前置きをつけずにはいられませんが、社会状況に対しては希望を見出した方が知識人含めて多くいたことからも、これまでの日本社会が鬱屈したものであったかが見受けられます。

 そして現在のところ最新アルバム『SENSE』のタイトルの意味。語義は様々ですが、基本的に意は「感覚」です。つまり、言語や思考として回収できない、それぞれの人間の中に宿る自然な直感や反応。
「口がすべって」でもそうですが、『HERO』以降の歌詞では、人の振る舞いは人の考え方によって支配されているという前提がありました。だからこそ葛藤があったのですね。
 でも、最新アルバムでは、そうした葛藤の末に取るしかない何らかの行動・態度が、「ふり」や「擬態」になってしまうことに対しての危機感がはっきりと見えます。

散々 周りを振り回して
結局 何をしたいんだか
自分にもさっぱり
分からないんだ
(「I」)

富を得た者はそうでない者より
満たされてるって思ってるの!?
障害を持つ者はそうでない者より
不自由だって誰が決めんの!?
目じゃないとこ
耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ
見落としてしまう
何かに擬態したものばかり
(「擬態」)

プライドと格闘した日々なんて今では縁遠いが
年2、3回制御不能の怒りに震えるよ
日曜、何の用意もなくただバイクを走らすよ
頭に浮かぶ良し悪しごとを風が振り払うまで
(「HOWL」)

慌てないで ほら1、2の3の きっかけで飛ぶんだ清水の舞台
氏名住所血液型なんて 皆忘れていいんだ 君をすっとばせ
ロックンロールは生きている 君の中に
未知なる可能性を探っている OH Oh oh
(「ロックンロールは生きている」)

静かに 密かに 嘘を重ね
淀んだ 時流れに 自由を奪われ
ただただ自分の身の丈を知らされ
それでも心は手を伸ばし続ける
(「蒼」)

胸の高鳴りにその身をゆだねよう
燻りをわだかまりを捨てに行こう
深く考えないことが切符代わりだ
(「Prelude」)


 桜井さんの人間観は、どんどん「わからないもの・どうにもならないもの」に近づいていますけど、今まで時間をかけて深く考え、葛藤してきたからこそ、こうして繰り返し「SENSE」を優先しようと信じようとする歌詞に説得力が出るのです。 
 ダーッと見てきましたが、この歌詞に託された意味の変遷を洗練と言わずになんと呼べばいいでしょう。一人の表現者を追いかける喜びは、ホント、こういうところにありますね。

 でも残念ながら、桜井和寿のこういう素晴らしい歌謡曲があっても、意義を理解できるリスナーがいません。これほどリテラシーが低ければ、せっかくいいものをつくっても仕方ありません。「いいものをつくれ」という話と「いいものを理解できる人間を育てろ」という話とは、いつも両輪でなければなりません。
(『教育「真」論』 さっきの続きのとこです)


 なかなか辛辣ですけど、宮台先生は、きっとそういうことを言いたいのだと思います。「今回の歌は好き」「今回のは嫌い」というのでなく、アーティストの考えの変遷を知ることで、今そこにある言葉の意味はまったく違ってくるのです。
 もちろん、桜井さんの言うとおり「感覚」はとっても大事です。でも、「深く考えないことが切符代わり」になるためには、当然、深く考えている現在が出発地点でなければなりません。
 私も、強く、心からそう言えるように深く考えていこうと思います。
 これからもけつのあなカラーボーイをよろしくお願いします。
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